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忘れてはいないこと。

お疲れ様です。

段々寒ささえ感じる季節になってきました。いかがおすごしでしょうか。

さて、寒くなればお風呂って気持ちがいいものですよね。今日はそのお話です。

というのも、ワタクシ未だにお風呂当番が回ってきます。まあ、自分の希望でもありますからね。

んで、お風呂をしてるんですがシャワーにせよ洗面器のお湯にせよ「温度の確認」ってしますよね。どうしてます?

私は、シャワーのお湯を素手で触って更に利用者さんに触ってもらって確認しています。これは介護を始めた当時から変わっていませんがね、今もやってます。

これ、結構重要ですよね。私、昔も今も?お年寄りは「熱い風呂が好き」って思ったりしてます。意外と、意外とですよ、ぬるめのお湯が好きって方います。ケースなどの情報を見る機会が増えてから気付いたのですが。(現場時代、いかに情報を見ずに介護していたかバレますね。情報は直接聞かなきゃ見なきゃ分からないって思ってましたからですよ。)

でもまあ、先入観と言うかありますよね。シャワーのお湯を確認したけど、いざ肩のあたりまでお湯が掛かるとビクッとする利用者さんもいます。

非常に気を使わなくてはいけない事なのかもしれませんね。湯に慣れてしまえば気持ちよく感じるのでしょうが、介護をするものとして重要な事です。

1人のお風呂介助にかかる時間というのは様々です。しかし、どうしても上限が決まってしまう以上可能な限り気持ちよく入って頂きたいものです。

昔は、頭の洗い方ひとつ床屋さんに研修にお願いに行ったものでした。なんだか、あのプロの洗い方?って言うんでしょうか、気持ち良かったしカッコよかったですものね。

どうせするなら極めてみたくないですか?自己満足といえばそこまでですが。。。

介護保険には、決して「気持ちよくお風呂に入る」なんて書いてませんものね。大きな決まり(介護保険)の上で介護していくには、実際直接介護する我々「ソフト」がどれだけ極めるか?、が結果利用者の充足感を左右しますよね。

そう考えると、大きな仕事任されてる気がしてきませんか?

ホントに昔、新人さんに「介護している意味が分からなくなりました。終わりの無い介護じゃないですか。」と相談された事もありました。

その時、こういう説明をしたような気がします。決まりもやかましい、決して高給取りでない我々介護従事者は本当に「利用者さんの笑顔が我々の喜びです」っていう事もあります。

現場の人間から「明日は○○(業務担当)かぁ」というつぶやきは、それだけその仕事を重要に捉えているという事でしょうか。ほんと、現場は頑張っていますよ。

くろいわ。

考え方を学ぶということ。

お疲れ様です、黒岩です。

ある人と話をしている時。不意に「こういう考え方もあるんだなぁ」と感じた事がありました。

若い頃(今も若いんすよ)、物事には「良悪」しかないと思ってました。まあ、子供だったのですかね。とにかくその人の考え方や捉え方に「そういう見かたもあるんだ」なんて思う事すらしていませんでした。

最近、もう本当に最近です。「ああ、こんな考え方もあるのか」と思える事が増えました。なんというか、それまでは幅の狭かった自分の考えですよ。

こう捉える事で、結果自分の幅を広げられた気がします。若さゆえの余裕が無かったのでしょうか。

確かに、物事というのは時として良悪を決めなくてはならない事があります。幅を広げて捉えるという事は、ある種迷いという含みが増えることにもなり兼ねないのですがね。

ここのところ、人生得しているなあと思う事が増えました。

ミニデイサービス 南の太陽にいる新人さんが今こうあるのですが、スポンジが水を吸収するみたいに・・とは言いますが、本当にその通り。しっかりと聞いた話を財産にしている・・・?と思うのですがヽ(´~`;

1を聞いて10を知る。これは危険な事でもあります。「10」のポジションって重要ですよね。「どの10」を知るかが大切なんです。物事を1教えて、その相手が10まで分かればそりゃ一番良いんですがね。いろんな10があります。

ほっとく人材育成もあります。放任主義というかなんと言いましょうか。でも、物事は経過を確認して修正して、その繰り返しが結果を生むのでしょう。

そういえば自分は決して丁寧では無かったけど、いろんな事面倒見てもらったなぁと思います。

育てる相手が自分の言いたい「真意」まで考えてくれると、意味があるような気がします。

「そこで黒岩さんはどう思うんですか?」とよくウチの新人さんは聞いてきます。学び方も人それぞれ、こういう事を聞いてくる人間が少なくなった気がします。興味があって話を聞いているって事ですからね。

話をする側の重責もとっても大切になってきます。

くろいわでした。

取り留めのない話をすみません。

現場同士の信頼関係と協力。

お疲れ様です。かなり久しぶりにお疲れ様です。

ミニデイサービス 南の太陽もすっかり秋が来まして、利用者さんのひとりは「こないだの台風が秋を運んできた」とおっしゃっていました。

そのぐらい、この間の台風が去った後めっきりと寒くなりました。朝晩は毛布無しでは寝られません。

さて、本日ミニデイサービスは比較的若い職員さん(Tさんとしておきましょう)が昼からのイベント(レク)に頭を悩ませていました。

時計13時15分。ミニデイサービス南の太陽の昼からは14時から始まります。さてさて、時間が迫ってきました。

とある事で、相談員の私がショートステイ南の太陽に電話をしました。すると「今日はもうちょっとしたら、慰問(子供達の踊り)が来ますよ。」との情報を入手。これはショートステイの假屋相談員ですね。

時間も押していましたが、一応Tさんに伝えました。「どうしよう、いい案だ。うち(ミニデイサービス)も身に行けないかな。」そんな協議がやいのやいの始まりました。この時利用者さんは昼寝中でしたから「今から起こして間に合うか・・・」どうだのこうだの。

担当ではないTさん以外の職員さんもまるで自分の事のように懸命に考えています。結局、結局ですよ、行く事になるんです。このお話。私はそれを聞いてショートステイの相談員さんに電話ですよ。「あのー、行ってもいいですか。うちの人間が。。。」と言うと「オッケーっす。」って返事ですよ。受け入れがすんなり、更には気持ちよく快諾というのは何かを求める側にとってとてもありがたいものです。

さて、またミニデイサービスのお話なんですが、行くと決まった瞬間からです。準備の打ち合わせをさほどしていないわけですよ。本当にしていないんですが、そこからの職員さんの動きの連携がすごいんです。

出先で心配なのは水分補給も必須項目ですよね。それぞれが何も言わず持っていくお茶準備し出す人間や、利用者さんを起こしにかかる人間。まあ、さも打ち合わせ通りかというくらい利用者さんの準備が出来ていきます。

結果、出て行くまで15分強でした。寝ている状態からですよ。びっくりです。でも、この準備、「無理」は無いんですよ。これがまた不思議。・・・まあ、私(くろいわ)はすっかりお留守番に組み込まれていたんですけどね。

これって、一朝一夕で出来る芸当ではないですよ。適材適所と言いますが、各員がソレを認識しているんでしょうね。

同じ意思、目標、目的、志(話が大きいです)が共有されると現場というのは凄い力を発揮します。それを実感した時でした。

連携っていうのは、これらが共有されないとなされないのかもしれませんね。

いい現場、持ってますよ、南の太陽はヽ(´~`)。

見守りの持ついろんな意味

皆様お疲れ様です.さて本日は「見守り」について.

私,介護者として南の太陽に入ってから?か忘れましたが「見守り≠監視」と言ってきました.私からこの発言を聞いた同僚は「?」という反応の方もいらっしゃいました.

介護において「見守り」というのは,比較的多用される言葉であり一定の介助ではとても大切な事.ですよね?そのはずです.

しかしこの言葉,非常に危険なんです.なんと言いましょうか.難しいのですが,ある書物に「見守りが利用者の心を折る」と書いてありました.利用者は「見守られたい」なんてほとんど思ってませんからね.(持論です)

この話,時としてとってもありがた迷惑なんです.介護者からしてみたら「怪我はさせちゃいかん」と正論なんですけどね.介護保険にある「尊厳」がこれまた時として,この見守りを変えてしまいます.

尊厳の保持と同時に介護者は利用者の安全という指名が課せられます.時として,安全が優先される場合これは尊厳を害してしまう事も有り得ます.

こんな経験ありませんか?

介護保険という枠では,この両立が非常に難しい気がします.

見守られるということは,その人の全てを見ていなくては想定しきれない事故が起こりえる.って変ですかね?

介護者としては転んだらどうしよう?みたいな不安は常につきまといます.方法によって見守りはいろんな方法がありますがね...

本当に矛盾の中で介護してる時ってあります.

介護従事が長くなるほど,いろんな思いや考え方が出てきます.これらを全て解決?飲み込んで?継続する事が,実は介護を求める人にとって,一番タメになるんでしょうね.介護者が減ったら介護受けられる人間が減っちゃいますからね.継続が一番求められるし,一番すごい事・・・ですよね.

本当に難しい介護の一場面でした.

くろいわ.

いつまで自立支援???

現場に居た頃.まあ,今も兼務ではありますが.現場単一で勝負していたころ.

「自立支援」という言葉に疑問がありました.このころは,単純に意味が分からないってんですが.

介護をしていく中で,その意味を知りました.曖昧で,教科書通りな内容ですけどね.それを知りました.

さらに介護を進めていく中,「自立支援って誰が望むの?」という疑問が生まれてきました.何も介護保険に楯突く気はありませんがね(最近書いたなぁ,こんな話).

なんとも言いようがないのですが,介護していて決して「私は自立して生きるんだ」という気持ちの方だけでは無いはず.むしろ「老後を安心して」という気持ちの方もいらっしゃるはずです.少なくとも私が直接介護してきた方にはいらっしゃいました.

そんな中,一連して「自立支援」で動いている介護計画.そう立案していかなくては,なんというか干されます.介護をしている中で,言い方によっては「その方のために厳しく」見守らなくてはならない場面もありますよね.介護者ってのは,なんらかの優しさを持って仕事をしていると思います.

「その方のため」となんとか称しても,結局厳しい事を言わなくてはならない.そんなのは辛いなぁと最近思います.辛くてもやらなきゃいけない!ってのはナシですよ.

とにかく,こういう状況ってあります.手伝って欲しい事に対して応える.コレが介護だと思ってました.でも,これまた状況によっては,「なんでもかんでも手伝うのは介護じゃない」とまで言われたりします.(ここで言う「なんでもかんでも」ってのは常識の範囲で・・・)

介助しない事(自立のために見守る)に対して,その当事者(利用者)に自立支援という事を言葉を変え説明しても「私はそんな事は望んでいない」という答えさえ返ってくる始末です.

日本という国,ちょっと大げさかもしれませんが介護をするには少し窮屈で,心が無いような印象の時もあります.世界で見ても外国の・・・どこだったでしょうか,どっかの国をモデルにして・・・というような雰囲気とか意見も聞きます.

まあ,そこは日本では考えられないくらいに税金も高くて国民みんなが同じように介護を受けられる.というようなところですよね.

背伸びしない,日本らしい介護?・・・ちょっとおおげさですが,目の前の利用者が笑えたらいいのかなぁ.なんて思います.

くろいわ.

迷惑な話.

「今日も一日,頑張りましょう!」

デイサービスではよく聞く声ですよね.本日私,テンション高かったんです.休み明けという事もあり,テンション上げないとなんだか休みボケで...

で,利用者さんにもいつもより少し元気に話しかけます.お風呂でしたが.

利用者さん,私の介助から離れたところで「あんひとは,ちた,やかまし(あの人は少しうるさい)」と.

あれー???ですよ.元気でにこやかならウケも良いかと・・・.利用者さんからしたら「そんな気分じゃない」って事だったのでしょうか.

まあ,とにかく今日この方からしたら「迷惑な話」だったんでしょう.一日,デイサービスに来て「楽しいまま帰る」なんて職員からの押し付けでしかありません.なんとなく一日過ごして帰るような日もあるでしょう.それを無理に「笑いましょう」などど,とてもとても.

我々介護に従事するものとしてどうしても「笑顔」というのは,んーなんというか不可欠?違うな,暗黙の了解?みたいなものってありませんか?介護に従事していく中で段々と,笑顔→表情に変わってきましたね.

介護を受ける者,介護を施す者(言い方自体,持論です).双方ともに笑顔しか許されないみたいな風潮を介護始めた頃感じていました.笑顔でなくてはいい介護出来ないみたいなトコです.しかし,表情は笑顔しかないではなくて「笑顔も表情の一部」でしかなく,本当に必要なのは表情なのではないかと思います.

表情とは,喜怒哀楽全部ですね.向井代表が言われていた事がありますが「感情を持てる事業所にしたい」というのが南の太陽でした.今もその気持ち持っていますよ!!!

まあ,でも確かに感情を持てるというのが一番人間らしいのかもしれません.何となく,この日の自分は笑顔を押し売りしていたような気さえします.

会話や感情の無い介護は作業でしかない.それがモットーなんですが,笑顔を押し付けているってのは矛盾ですよね.笑えば全てが解決・・・なんて上手くはいかないはず.利用者さんとスタッフが時には対等にケンカ出来るのも魅力かもしれませんね.

くろいわ.

外出してみる?

とある話から.まあ,うちの事業所内での話ですけど.

デイサービスにおいて「外出」って魅力ですよね.うん,そうです.でも,この外出というのは当然制約があります.

「近隣散歩としても,1時間程度の外出」という内容?ですよね.

本当に,以前の事業所にてちょっとブラリ外出してみたことがあります.1時間?・・・でしたかねぇ.すこーしオーバーしたこともありましたっけ.そりゃ介護員は必死ですよ.「じ,時間だし急いで帰らなきゃ」みたいにね.まあ,高齢者ですから体調的にすぐれない方も居ますけど,雰囲気は「あーあ」って感じの方も.

なんて言うか,この制約.分かるんです.介護保険として制約を設ける意味も.でも,次月の予定を立てたりする時.どうしても「非常線」みたいな行動範囲が頭に浮かびます.

「あそこは行ってみたら喜ぶんだけどねぇ」みたいな会話もちらほら.でも結局実行出来ない理由は「一時間程度」というものです.

確かに,事業所内でサービスしないで保険料を算定するなんておかしな話なんですけど.でも更におかしいと思うのは,ケアプランでは「利用者の笑顔」という項目のサービスは組めないという事です.あくまでも自立支援の項目に該当していなくてはならない事です.

介護は笑顔で!みたいな暗黙の了解みたいなものがあると思っています.別に国が,厚労省が言う訳ではありませんけどね.現場を兼務する者として,笑顔無しに介護は出来ない気がします.それは「作業」とも言い得ない援助しか・・・.

感情を殺してというのは簡単です.でも,介護を必要とする人は何かしらの安らぎを求めているはず.笑顔無い介護は介護にあらず.というのが私の信念です.

まあ,そんな思いから鹿児島弁で言う「あっこそっこ(どこそこ)」外出したい訳ですが...笑顔のためにですね.

介護保険法の「程度」とか「おおむね」とかって,よく目にします.コレは介護におけるファジーな部分を考慮した?ようなところも垣間見えます.(持論です)

しかし,ファジー≠人間的と捉えてもらえるなら,もっと「笑顔」とか「笑顔」とか「笑顔」とか・・・・.必要な部分ってあるように思えるんですけどねぇ.

たまに,思います.なんて言うんでしょうか,現場は利用者に「笑顔で帰って」もらうための話し合いまでしてます.

でも,介護保険では笑顔なんて求めていない???のかと.

なんだか,少し・・・心が無い.

遅かれ早かれ,変わっていく介護保険.3年に1回?改善とも改悪ともいろんな評価があるようですが,私が望むのは『利用者の笑顔』という条文とか一文とか盛り込まれて欲しいなぁ.

そんな協議聞いたことすらありませんけどね.大切な気がします.

なんだか,非常に現場に都合よくない介護保険と思うことも少なくありません.だって,利用者から嫌な顔直接されるのは現場ですもんね.

全て持論です.楯突いてますかね.

くろいわ.

成長の無い自分

「成長」とは如何に?と最近自分で思います.自分に思います.

学ぶ事とは少し違うんですかね,そう思います.学んだ事を次の何かに活かせる事.コレが成長かと考えます.

子育てをして約1年半経ちます.新米ながらも親なんですが,子の成長を見ていて本当に成長に驚かされます.そして,よく見ています.

私,歯磨きはお風呂中派なんです.(コレって派閥あるんすかね)息子と風呂に入ると,私は子供に歯ブラシを渡します.この息子,1歳半弱です.親なりのアレ(ひいき目)では無いんですが,歯ブラシを持つなり磨く動作.コレは普通ですよね.

私も磨くとき湯船で磨きますから,口に溜まる泡を浴槽外にペッと吐くんです.

息子.歯磨きのまね事をニコニコして,やっと浴槽外に出る顔を背伸びして出して吐くまねをするんです.泡なんか無いのに.しかも「ペッ」っていいます.たまに「パッ」とか言い違いもあるみたいですけど.

見てて,おかしいのなんの.成長してるなぁと感心させられます.

さて,別に子供の自慢って訳じゃございませんが,自分の成長についてです.子供は子供なりに「見たことを模写」する事でひとつの成長でしょう.

私,おんなじこと毎月間違いしたりします.まあ,凡ミスなんですが成長ありません.

ミスをしたとき,ある先輩に言われたことがあります.「成長してるしてないは関係ない.ミスが悪いと分かっている訳だから.むしろそのミスをする内容を重要に捉えているかどうかだ」と.

おお!重要視しているかどうか!最近思い出したんですけどね.

確かに,業務の流れのひとつとして捉えるとダブルチェックすらしませんもん.そしてまた間違える.こりゃ成長ないなぁと思います.

いかんいかん.

我が子に成長の事言えませんもんね.

そういう意味でも仕事頑張らなきゃ.まず,目の前の事に対して捉え方を換えなきゃいけませんね.

彼(息子)にとっては「ペッ」が重要と捉えられたのでしょうか.

くろいわ.

雑談1

とある掲示板で読んだ話.

内容は,入所者に対する身内の訃報連絡についてでした.主タイトルを付けた方は「伝えるべきか?伝えるとしても,伝え方はどうしよう?」という非常に辛い質問でした.

まあ,掲示板ですから疑問や質問を問いかける訳です.他閲覧者が,アドバイスや提案をする訳です.

ここまでは普通なんですが,この掲示板はココからが少し不思議なんです.

結末として「掲示板運営者に従わなくては」発言がし辛くなる空気があります.

もともと,介護に対する質問をぶつけていいはずなのに.主タイトルを付けた方すら,何故か同調?しなくてはいけない状況に.

あまつさえ,運営者に反論された閲覧者が「もう私は参加しません」みたいな話.まあ,介護経験者同士の意見の場ですからぶつかるのは当たり前っちゃあ当たり前かもしれませんが.(本来の質問は何処にいった?みたいな)

肯定も否定も,一つの意見であり質問者はそれを見て答えを導いていくのが介護ですよね.

あまりにも逸脱したやり方はいけませんが.でも,介護をしていると常に疑問は浮かびます.これは浮かばないと一辺倒な手法になりがちです.

Case by caseという言葉があるように,その一つの事案に対して常に考え,これまでの結果を「参考に」しなくてはならない気がします.

批判をするつもりではありませんが,この掲示板.特に今回の話題(ネタ)では,運営者側が「何故あなたが判断するんだ.そんな権利はあなたには無い」みたいな書かれ方までしちゃってます.そのケースは運営者のもとで起こった訳ではなく,主タイトルを付けた方のもとで起こっているのに.

決め付けでアドバイスや提案をする時点で,すでにアドバイスや提案では無くなっているような気がします.

介護員(自分含む)というのは,ある程度答えが決まっている事も少なくありません.でも,それが「正しいのか間違っているのか」はとても気になります.「答えなんて無いんだよ」とよく言います.介護では特に聞く気がします.(持論です)

その「答えなんて無い」って非常に気になりません?人間ですからね.介護員も.じゃあ,介護員が質問する時それは「ポンっと背中を押して欲しい」のでは無いか?と最近思います.どんなケースであれ,それに対して初めてのアプローチは先駆者として不安ですしね.私も未だにそうです.反応として怒られたりしたらどうしようとか思いません?

介護員は周囲(上司・他職種含む)からの意見って,結構効きます.効いちゃうんです.でも,その時どういう意見かでポジティブにもネガティブにもなりがちです.(あくまでも,良識の範囲内の対応についての質問の場合)

間違っている道を突き進むなんて人間には出来ない,というか難しいですよね.それを慎重に選択して前に進む.介護ってそんな感じがします.言い方を変えると石橋を叩いて渡るみたいな.

当事者の気持ちになって考えるという事が大切ですね.本当に.

何かの不安を持って問いかける人間は,理由なんていいからとにかく助けて欲しいものですよね.

それをハナから「意見」されると,ちと辛い.アドバイスと意見は違いますからね.どちらかといえばアドバイスが欲しいんです.

私自身も人からの質問に,こうなって(意見ばかりだすようになって)しまっていないか不安な毎日です.うーん難しい.

くろいわ.

今でこそ.

お疲れ様です.熱中症対策はお済みでしょうか?体調にはお気をつけ下さいませ.

ふと,本当にふと,介護を始めた頃の夢を見まして書いてみます.

とにかく熱い人間でした.もう鹿児島弁で言う「うぜらしか」ってやつです.

自衛隊に入隊したかのように,直立で当時担当の先輩はイヤだっただろうなぁ.頭も上がりませんが.

入職してすぐ,最初に言われたのは「その『了解』って返事は止めて!」でした.手にベラベラとオムツ交換の順番を書いて,夜勤で何時間で何人のオムツが換えられるかを頑張って・・・.さらに明けには,気になった入所者さんの話を夕方まで聞いて.なんとまあ介護の鏡になろうかというような人間でした.かも?

半年経ち,今だから言えますが親父から「そんな仕事なんか辞めてしまえ」と言われましたっけ.色んな意味があったのでしょう.

ある時,師匠に「根(こん)詰めても入所者の明日は変わらない.細く長くやっていけることが,実はその入所者にとって一番の利益なんじゃねか?」と言われた事があります.

確かに!でした.経験を積めば仕事内容も変わっていくのでしょうが,その当時は「ずっと介護員」でしたから,このペースでいくと俺どうなるんだ?っていう動きありましたかも.

介護を始めたきっかけすら忘れがちでしたね.

相談員という職を頂き,今は仕事してますがやっぱり介護員のスタッフを見ていると「お疲れ」です.その疲れを微塵も感じさせないのがプロなんでしょうが,同業者同士見ていると分かる気がします.

マジメなんです.介護員って.話飛んでいきますし大きな話なんですが,辞めていく介護員(介護から離れていく人間)を見ていると少し寂しささえ感じることあります.

ヘルパー養成で話をさせてもらっていた時,「介護は大変です.キレイな世界でもありません.3K労働と言いますが,加えて『来たくない』を入れ4Kとも言えます」みたいな事も言ってました.講師陣からは大クレームでしたが┐( ̄ヘ ̄)┌ まあ,そのぐらい辛い仕事ですよね.

介護が時代的に世間に知れ,大変と知れ,介護職離れもそれなりに起こっている気がしませんか?でも,今はまだ介護が求められる時代.相反して「介護離れ」が進むと,大変な事になるような気さえします.

この介護離れについて何か出来る事といえば,本当に持論的な考えですが,「笑顔で介護」ですかと想います.愛想良く,感じ良く.利用者を思うと確かにそうなんですし,当たり前なんですが「これから介護をしてみようと思う人」に対してもやっぱり良いイメージでなくてはならない気がします.

「なんであんなに楽しいの?」

この感情は,入職前と後では気持ちの持ち方変わりますよね.入職してから分かる辛さ.めっちゃありましたもん.

入職後この気持ちを「楽しい!」のまま持ち続けるのは難しいですよね.これを持ち続けさせるためにも先に入職している先輩(自分も?)が笑顔を絶やさず仕事をすることが大切ですよね.

笑顔を絶やさない.そのためには,自分自身のモチベーションも大切・・・.どんどん,話が止まりませんけどね.そう思います.先人が辛そうな,楽しくなさそうな顔してたらイヤになりそうですもんね.

余談でした.

くろいわ.