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スティーブ・ジョブス氏のお言葉1

お疲れ様です。

すっかり?冬らしくなり今年も本日から残すところあと1ヶ月となりました。

さて、時事ネタとして最近はスティーブ・ジョブス氏の本をよく読んでいます。最初は経営者向けの本かなと思っていましたが、読んでみると面白いですね。自分に対する変革を唱えているような部分もあり、私の年齢にはピッタリな内容と思い読んでいます。

とある議員さんのブログにもありましたが、「何かを始める先駆者は最初は誰からも評価されないことが多い。むしろ軽蔑さえ感じる」とあります。どちらかと言えばジョブス氏も人から見れば「何言ってるんだろう」と捉えられかねないくらいに変革を唱える先駆者であったようですね。

でも、それだからこそ成長や伸びがあったと書いてあります。残念にも亡くなってしまった今、彼の言葉を聞くことは出来ませんがそれでも多くの言葉を残しています。哀しいかな、亡くなって振り返ると素晴らしさが後々感じられます。

世界中で彼のファンは多く、私なんてのも実は最近ファンになった新参者なんですけどね。今更とはいえ、素晴らしい人間だと感じます。自分のやることがどれだけ高い位置で遂行できるか、周りが衰退していくのを待っていては駄目だ。というような「常に自分と闘う」みたいな事が多く書かれています。

なんとなく頭では分かっていることを、あえて言葉にして、言葉という形にして解いてくれているような気がします。

色々読みましたが、結局今日もWindowsを使いながら仕事しています。(Mac使ってみようと思わない事自体、私には変革が無いんですかねぇ。)

たまに、本当にたまに偉人とまで呼ばれる人の言葉も身に染みた瞬間でした。

くろいわ。

それ当たり前でしょ。

お疲れ様です。すっかり寒さ厳しい鹿児島です。

さて、先日「事業仕分け」の場面がTVに映っていました。見ていると、ある議員さんが仕分けたい事業の官僚?の方に理詰めでディベートを持ちかける訳です。

そうするとその官僚の方、「なるべく急ぐように努めて参ります」とか答えるんです。それを聞いた議員さん(仕分け側。この方最近良く見ます)が「そんな『急ぐように努めて』なんて当たり前で大前提でしょ。もっと他の回答はないのか?」と返すんですね。(うろ覚えなんで細かい部分はご容赦下さい)

拍手ものでした。何ともその通り、確かに「なるべく急ぐ」なんていう必要がありませんし「務める」のも当たり前なんですよね。その仕事を一生懸命にやっているはずですから、急いで当たり前。でないということは漫然と仕事しているとも捉えかねられません。

よく「努めます」という返しを使いますが、タイミングを誤ると結局仕事やる気ないと思われるリスクもあります。

日本語とは非常に良い言い回しが多く、時に曖昧に言葉を使えます。日本人らしいファジイさもありますが、適宜使い分けなくてはなりません。

自分が頼んだ仕事もそう感じますしね。

年末の慌ただしさが少し感じられる時期です。慌てず急がず無理せず年末に向けて頑張りましょう。

くろいわ。

シビレルような指示

お疲れ様です。

またまた急にめっきり寒くなった鹿児島です。全国的にやっと冬らしさが到来しているようですね。

さて、本日の話は「シビレルような指示」です。というのも、何かの映画であったヒトコマです。(コレを読むと分かる方がいるかもしれません、大好きなシリーズ映画なんですが。)

ある上司と部下が仕事してきました。まあ、いがみ合ったりでも切磋琢磨されて・・・。ある時、上司が異動?になるんですね。その時部下から上司へ贈る言葉?みたいな話ですが、色々あったんでしょう。仕事で言い合いとか、まあいがみ合いとか。でもその時の言葉は「しびれるような命令ありがとうございました。」って言うんです。この一言って集約されてません?

仕事って、色々あります。時には意見の食い違いで「何考えてんだか」という程に思わされる瞬間すらあります。しかし、その仕事が本当に意味のある内容とでも言うんでしょうか、意義ある仕事であった場合にお互いの信頼とか絆とか一気に高まるきっかけにも成り得ます。

特にこの上司からの指示が非常に重要な気がします。昔から言われますが、言うこととやることが違ってはいけないとか言われます。当然上司として指示を出す瞬間もあれば、上司から指示をもらう場合もあります。

自分自身感じますが「あれ?こないだ言ったことと違う」なんて結構やっちゃうリスクをはらんでますよね。何故か?その場限りでモノを言うカラなんでしょう。(昔私もよく言われてましたネ)

確かに、上司から方向性や意味合いの違う事を毎回言われたら「どうするのさ?」って思いますものね。間違いはあっても場違いな発言には気をつけろなーんてお師匠さんもいましたなぁ。

とにかく、仕事の上で指示は非常に重要ということです。とある私の「先生」にあたる方が、「認知→判断→アクション(操作)だ!」と言われる機会が多いんですが、仕事においても「判断」の部分が大事ですね。物事にあたる際、この判断を間違えると結果を伴う「アクション」は変わってきますからね。ま、どういう指示をもらうかにもよりますが。

自分の発言が段々と重責を追うことを再度認識しなくてはなりませんね。。。

くろいわ。

プロ?とは大げさですが・・・

お疲れ様です。昔々介護を始めた頃、ある入所者との話。(入:入所者 く:くろいわ)

入:「こういう仕事しとったら腹も立つでしょ?」

く:「そんなことないですよ。」

入:「嘘でしょう?私だったら腹が立つし、まずイヤになるわ。」

く:「・・・。」

入:「ほらね。でも、怒るのを我慢は体に悪いわよねぇ。」

く:「・・・。」

なんとも答えられなかった若い頃です。その頃、ちょうど介護に「慣れ」を感じて同時に理不尽な入所者からの要求に受け答えられなくなってきた頃でした。苛立ちとか妙なむなしさ?とか。

尊敬する先輩に「腹は立ちませんか?」と聞くと意外にも「腹は立つよ」と笑顔で返ってきました。なんとも意外でしたがね。

後述があるのですが「腹は立つでしょ?でもそれを形として言葉や、もちろんあってはならない暴力にしてはいけないしプロだからな。」とね。

腹は立つんだ。という感じでした。安心したというか何と言いましょうか、その時は本当にびっくりでした。今もそうです。何がどうという訳ではありませんが、やはり今も人間的感情はちゃんとあります。時に職員も利用者さんと口論していたりします。お互いの意見がぶつかるというのは、同時にその相手を理解しようとしている姿の時も有ります。そんな時は止めていません。

職員側にもなんとも言いようのない思いを持ったまま介護は、決していい介護となりません。利用者様からしても、さっき言い合った職員に、まして介助なんて気分が良いとは限りません。それでも介護はしますが、必要なのは心であり作業をしている訳ではありませんから、気持ちの良い会話が必要です。

専門職というのはたまに?しばしば?でも、自分の心のキャパをゼロにしなくてはなりません。よくよく考えると、接客業の皆様は我々(私だけ?)の態度の悪い注文によく耐えていらっしゃいますよね。そういう感覚で見ているとプロはすごいと思います。

当たり前っちゃあ、そうなのかもしれませんがね。表情は諸刃の剣だとも教わった事がありますが、最近よく分かるようになったここ数年です。

若くて未熟な自分をまだまだ見つめなくてはなりません。。。

くろいわ。

TPPの話。

お疲れ様です。政治関係全くの素人なんですがニュースで最近「TPP」とよく聞きます。単純に関税なくなるから安い外国の商品(農作物)が入ってくるんですって。

おお!困る。なんと言うか、うちのじいさんとこは農家なんです。まあ、外へ出荷する商品なんてのは牛ぐらいなのですがそれでも影響は少なからずあります。

農業大国であった日本。もともと農耕民族である日本人には由々しき自体?ではないでしょうか?

南の太陽では、地元のお米を買い精米し提供しています。ユニット型?の考え方からしても、そうする(地産地消)することで地域へも利益を還元でき、経費も抑えられ、何より安心して食べられるというメリットがあります。しかしこの問題。決して南の太陽にも関係ない話では無いような。。。

昨今、お店に行くと「どこの誰が作りました」なんて表示が結構あります。特にお野菜ですね。これはどうなるのでしょうか?「原産国:USA の ディビットさん が作りました」とか!?

まあ、オーバーでしょうがTPPがこの先どうなるのか見ものです。

昔、先輩が興味ない事柄に対してもっと身近に置き換えて考えると興味出るなんて言ってました。大げさかもしれませんが、結構ひとごとでもないニュースじゃありません?

TPPが日本の良い風景(田園や畑)を変えてしまうかも!?!?!?!?なんて。

見慣れない風景に認知症が進む???

くろいわ。

これは果たして「介護」か「接遇」か。

ある特別養護老人ホームの話である。

☆時間に決まった食事、遅れて入所者が起きてくるとご飯がない。入所者は「ご飯はないの?」職員は「起きてこないからよ。厨房の人にも2時間以内に処分するように言われているから」と答える。決して、何か罪を犯したわけではないのに「食事抜き」となる。

☆時間に決まった排泄、職員が勝手に定めた「時間外」というタイミングでトイレに行こうと寮母室前のソファから立とうとすると「どこへ行くの?」と毎回聞かれる。「トイレに行く」と言うと、なんだか「凄いこと」をしてくるかのように、他の人の視線が痛い。「今となりに座っている人(他入所者)にヒソヒソと『お手洗いに行ってくるからね』と言ったのは全く意味をなさない。

☆時間が決まった娯楽、入所者にも「夜話(よばなし)」を好む人だっている。「隣の○○さんの所に行って話がしたいんだけど」とコールを押す。職員は「もう○○さんは寝ているし、遅いから明日にしましょうか」と断られる。隣の○○さんは電気も点いていてTVを見ているじゃないか。

入所者にだって、ご飯を食べたい時も食べたくない時もある、トイレも行きたい時もあれば行きたくない時だってある、人と話すのに許可がないとろくすっぽ話も出来ない。

でも、体は思うように動かない。果たして、介護員とは何のために存在しているのか?

しかし、マジメな介護員。時として青少年ホームの職員かというほどに規律正しく、時間厳守で、見事なまでにキレイに入所者を洗浄し、餌付けのように食事をさせてくれる。入所者は職員のペットかというほどに飼われている。

でも、これが日本の大半の介護を支えている現状。大量消費のこの時代、確かにたくさんの「何か」を扱わなくてはならないこの時代。ましてや高齢者まで「大量」な介護の対象者として扱われなくてはならないのか。

介護保険制定から数年経つ昨今、「利用者選択」という大きなテーマを持ってスタートしたはずの保険制度。たくさんの入所者を抱える事業所などは、悲しくもやむを得ずも「利用者選択」なんてしていられない。

何故か?

「1人に5分使った介護をすると50人居たら入所者全部に4時間近くかかるじゃないですか。」

これが現場の現状である。こんなに「仕方の無い介護」が日本を支えているなんて、とてもスウェーデンのようにはいかない。でも、明日も介護を欲する高齢者はごまんといる。(とある著書から抜粋)

そこで見直されたのが、介護の小規模化。ユニット形式(ユニット型)であったり、少人数化であったり。何故なら、簡単に言うなれば手が届きやすい(利用者のニーズを拾いやすい)からである。

しかし、ソフト(介護職員)の考え方や捉え方でいくらハード(施設とか建物)を小規模化しても上手くいかない。なぜなら介護の「仕方(やり方や手法)」が大規模的(従来型)であるからである。

せっかくの小規模型介護が「行える事業所」であるのに、介護員の思考が大規模的であるのは非常に残念だ。

ここ数年、本当にまた介護が変わってきた。というよりも、やっと「普通の介護」になってきた。これまでは学校をもっと厳しくしたようなレールの上の介護でしかなかった。それも各駅停車のように、決まった時間でしか「行動」出来ないのである。高齢者にとって行動とは生活そのものといっても過言ではない。楽しみも奪われた体で何が出来るか。本当に「余生」を送っているだけになる。

小規模事業所に課せられる期待、そして課題は大きい。これまでの利用者がもっともっと「話し」が出来る事業所、「要望」を言える事業所、そうなる事をミニデイサービス 南の太陽に期待したい。

追い詰められる介護保険・・・。

お疲れ様です。何とも寒い時期がやってきましたね。段々と。。。

さて、段々とH24年の介護保険改正の時期が迫り各誌でもいろんなインタビューや対談が載ってたりします。

とあるサイトのお偉いさんの話。「介護職員処遇改善交付金」のお話でした。結局のところ介護報酬は下がるが交付金は残るという内容なんです。(あくまで協議レベルとのこと)

という事は、来年もこれまで並みの水準?と思ったんですが、「仮に『ゼロ改定だけれども、交付金の分は介護報酬で対応する』ということになれば、実質的にはマイナス2%改定と同じことです。財源があればいいのですが、簡単に財源を確保できるかどうかは分かりません。こうした面からも、改定は厳しいと考えざるを得ないでしょう。」と後述がありました。

結局今の取り分から2%減らして98%とする。残りの2%を「交付金と名づけ」て配分する。ってなりません!?

なんだか、またわけ分からずうまくごまかされるんかい!?って思いました。(あくまで仮定です)

震災復興財源、年金問題、いろいろありますが結局は一般市民の財布に頼るばかりではありません?

もっと、本当にもっと削ぎ落とさなくてはならないトコってあるでしょうに。。。

これでは介護に就く人間は浮かばれないし、人離れも起こります。結果、介護を受けたい若しくは受けなくては生活継続が難しい高齢者が介護を受けられないという事になりかねないと思うんです。大げさかも知れませんが。

時代が変わり、自宅でどちらかというと閉塞的に介護をしていた頃から社会資源を利用して介護をする時代になった今。果たしてこのまま継続していけるのかすら疑問です。

介護に係わる我々というのは、当然仕事が出来る年齢ですから身内とか親とかの介護問題は「これから」なんです。でも、この仕事を続ければ続けるほど不安も募りませんか?

なんと言うか、最近では「富裕層を狙いとした」とかいう施設も聞かれるようになりました。同時に思うのが「俺の親って富裕層?」というものです。

極端かもしれませんが、富裕層でない私の親は将来介護って大丈夫?と思うんです。

介護保険には高齢者を敬う内容って書いてありませんか?本当に敬うなら減らしちゃいかん介護報酬じゃないんでしょうか???

うーん、微妙な問題。。。

くろいわ。

思って、務めて、徹底して。

お疲れ様です。気が向いたブログになりそうな雰囲気さえあるので危機感を募らせながら書いてみます。

というのも、私達相談員となりますと不肖ながらも他から上がってきた報告書などに目を通す機会も少なくありません。結構重要な業務ですし、ショートステイにいる時ある職員に「書類を見もせず印鑑を付くわけにもいきませんから」と言われた言葉も気になります。

昔、本当に昔。まだメーカー(とある「㈱ ○セ○」)に居た頃ですね、上司にある書類を提出に行きました。内容はたぶん大口の契約を間違えてしまい、会社側に損害を出した始末書?だったですかね。その時はまだ学生上がりの若輩者でしたからね、書類に「○○と思います」という一文がありました。

上司「『思います』?自分が今後も同じ過ちをしないという心持ちが足らんのじゃないか?思ってなくて行動!」と怒られましたっけなぁ。

そんな悔しい思い出から学んだのですが、時と場合によって「思います」「務めます」「徹底します(行動)」って使い方変わってきますよね。

介護の事故報告書など、種類によってその書類の持つ重要性や優先順位は変わってきます。問い(Q)が何を求めているかによって答え(A)が変わってきますし、その「答え方」でどの程度の間隔で捉えているかが分かったりもします。

例えば「思います」は、前述で述べた通り確かに思っているだけか?と伝わったりもします。まあ、必要に応じてこれも答え方として正しい事があるから悪いとか良いとかではないんです。

「務めます」は、まだ行動はしていないけど頑張るんだなぁとは感じます。

「徹底します」は、もうやるしかありませんからね。結果を見れば明らかなんでしょう。

向井社長がこれまた昔、「言い切らないと」と口をすっぱくして教えてくれた事があります。つまり、自分に義務?を与えなくては何もしない・・・と理解しているんですが。

書類というのは一種の自己表現とも考えます。その中に記される内容はとっても重要なんですよね。書く側であり、見る側でもある。その自覚を忘れてはなりません。

と、思い仕事してます。

くろいわ。

古き良き時代って言いますよね?

お疲れ様です。なんだかんだでブログの更新が止まる黒岩です。

さて、先日他の施設事務長とお話をする中で「あの頃はよかった・・・」なーんて話題になりました。

物事というのは、常に変化するし変化しなくては成長がないと昔どなたかに言われた記憶があります。過去が無きゃ今は無い、今が無きゃ未来はない、ということは過去が無きゃ未来は無いんだ、とですね。

積み重ねてきたものが大切なんだと言われましたし、ここ数年その事も理解しました。

自分自身で見ても周りを見ても、やはり昔や過去ってのは大切なんです。変化を求めるあまり「過去は関係ない」なんてあまりにも寂しいですよね。

すっぱりと捨ててしまうのは、あまりに心が無い。良いものは伝承して、残っていかなくてはスタートしたその時の想いとか気持ちを忘れてしまいます。・・・、忘れてしまってはやっている事自体が意味を失くしてしまいかねません。

固執してはいけませんが、やはり全てを「過去の事」として排除してしまっては悲しいです。

我々、介護に従事する人間こそ積み重ねの商売だと思います。若い頃はとにかく年齢が欲しかったですからね。何を言っても20代は軽い言葉にしか捉えられませんでしたからね。

今日も一日仕事して、家に帰って・・・その繰り返しが自分の今を作っているのだと思います。そう考えると「過去は過去、関係ない」なんて切り捨て方は間違っている!?ような気がします。

本当のヘルプとはなんだろう。

お疲れ様です。秋雨ですっかり寒いミニデイサービス 南の太陽です。

介護というのは、普段から「トイレ介助や食事介助ではなく、近所のばあちゃんの手を繋いで歩いたりする事からでいいんですよ」と話をしたりします。でないと壁が高く、介護を求める利用者さんには敷居が高くなってしまいます。そんな介護を目指していますし、これが原点でした。

介護保険に関わり、プロとして介護をしているうえで何となく「わずらわしさ」ってありません?プロで無ければ出来た事って結構あります。

「趣味と実益」という言い方があります。趣味とは自分の好きな事ですね。この場合自分がしたいと思う事が介護であり、趣味とは違いますがその好きな事で生計を立てるためにはやはりプロでなくてはいけません。

よくよく考えると、介護を求める人を助ける為に生まれた介護保険ではないのか?と思ったりします。

この気持ちが深い人間が自立し先頭に立ちいろいろな物事を展開していくのでしょう。と、考えると自分はまだ非力なんでしょう。

あれこれ思う考える発言するというのはそれだけの責任が生じると昔言われた事があります。言った手前出来ない(自分の力不足)ということもありますからね。

「踊○大捜査線」(主演:織○裕二さん)作の映画に出てくる設定にありますが、主役が現場で信頼する上司がどんどん昇格するためにお互いが頑張るというものです。現場は介護を一生懸命、上司はその現場が動きやすくなる為に昇格して権利?職権?を得る内容です。

これって、介護の現場に通じるものありません?

まあ、上に行くって話は政界?にでも出るんでしょうか。本当に根底からまだまだ見直す余地のある介護保険ですよね。

我々がお給料もらう基盤となる介護保険ですから。もっともっと意見あれば今より更に良くなるハズなんです。一番は高齢者、私達の住む日本を作ってきた方々ですからね。もっと敬意を払うべきものなのかとまで思います。

ボランティアによく例に上がるのが介護ですよね。(持論です)いくら仕事とはいえ、少なからずやはり慈しみとかそういう感情や気持ちがなければ続かない仕事と言っても過言ではない気がします。

介護保険で「断る」こともあります。内容によってはですね。

少し、心がない。

と、悲しい瞬間も併せ持っているのが介護保険ですよね。

いやぁ、プロって本当に難しい事ですよね。技能も心情も。。。

くろいわ。